言わなきゃ気が済まない話

私の大好きな餃子の天龍、池袋東武店で夕飯を食べていると、後ろの席に80歳近い感じの男性が二人、生ビールでかなりメーターが上がっていました。大きな声なのでつい内容を聞いていると「徴兵制を復活すべきだ」「だいいち原爆落とされたらどうするんだ」「中国が(中華屋さんなのに)攻めてきたら…北朝鮮もあぶないよ…」「このあいだ靖国にいた若者は良かったよなあ、ああいうのがなかなかいないんだ、今の若いのは女の子とちゃらちゃらして、国を守ろうなんて気が無いんだ」などと、熱く語っておられました。私は餃子を食べながら、今の若者たちにこの国のなにを守らせたいのか、まず今の若いのが女の子と仲良くならなければ子供は生まれないんだぞお。なによりもあんたたちの孫が徴兵されても良いのか、それとも自分たちが行くつもりなのか?と心で叫んでいるうちに味もわからなくなっていました。
いつぞやは、やはり年配の男性二人が「原発なんて、ラジウム温泉に入ると思えばいいんだ、大丈夫だよ」と喫茶店で談笑…いるんですよ、実際こういう人が。
オリンピックやカジノで景気が回復して庶民の暮らしが良くなるなんていうのを本気で思っている人たち、東北の復興がだいぶ進んでいるなんて、行っても見てもいないのに言っている人たち、アメリカに守ってもらうんだから日本の若者も血を流せなんて言われてなんとも感じない人たち、日本が戦争中に犯した数々の罪をあんなのは作り話だなんて平気でいう人たち、私はそういう人たちの気がしれません。無関心も困りますが、無責任も困ります。子供たち、若い人たちに対して恥ずかしくない人生の先輩になりたいものです。

先日朝日新聞に掲載された中学生の文章がネットで流れてきたのでご紹介します。
僕は戦場で人を殺せません
中学生(名前は省略・東京都 15)
日本が憲法の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認し、戦争ができる国になる可能性が日々増しています。おそらく戦場へ向かわされるであろう世代のひとりとして、気持ちを述べさせていただきます。
僕の友人の中にも、集団的自衛権の行使が必要だと考える人はいます。しかし僕は反対です。徴兵され、戦場に送られ、人を殺したくないからです。
人を殺すことは、通常の世界では最も重い罪です。しかし戦場では、その一番重い罪である人殺しを命令されるのです。命令に従うのがよいことで、命令に背けば罰せられます。この矛盾が僕には理解できず、受け入れられません。
それに、人は何のために生まれてくるのでしょうか。戦いで人を殺したり、殺されたりするためではないはずです。全ての人間に与えられる人生は、たった一度です。人を殺した罪を引きずって生きたり、自分が望まない時に命が無理やり終わったりすることは、あまりにも残念で、悲しいことです。 集団的自衛権の行使は、海外で人を殺すことを伴います。僕には、それは絶対できません。集団的自衛権行使の意味を、国全体で考え直す必要があると強く思います。
●安倍さんは読んでないでしょうね