3月23~29日
●ピースボートショートクルーズに参加し石垣島から乗り台湾、那覇と寄港し博多で降りました。
今回はスタッフ大喜利と、子供たちに何か教えるというお仕事が課せられていましたが、寄港地中は自由なので私もツアーを選び参加してきました。
台湾では台北の郊外にある景美国家人権博物館[白色テロ時代の監獄跡]を実際に投獄されていた方々の案内で見学し、その当時の経緯や体験談を伺いました。白色テロとは、為政者や権力者、反革命側(君主国家の為政者あるいは保守派)によって政治的敵対勢力に対して行われる暴力的な直接行動のことだそうで、私は初めて知った言葉でしたが、日本も戦前、戦中そんなことがされていた時代があったわけだし、これからこのまま安倍さんの暴走が許されるようなことがあったら決して他人ごとではない話だと思いました。
ウィキペディアで「白色テロ」を調べたら「国家組織及び権力を是認して行われる不当逮捕や言論統制などがある」とありましたから今の日本でも実際あり得る話です。日本が敗戦後の1945年8月、連合国による委託管理として台湾駐留を任された蒋介石の軍隊が入って来て、台湾の人たちが「日本が戦敗して、祖国の軍隊が戻って来た。これからは自分達も、もう植民地の人間ではなくて、一国の国民になるのだ」と喜んで歓迎したのに、逆に中国大陸の軍隊は台湾人に対して大量殺戮や非人道的な鎮圧をしたそうです。そして台湾のリーダー級の人物を抹殺するため「台湾に潜入している共産党員を撲滅する」と言う名目で無差別な拉致、監禁、拷問、銃殺等をしたのです。お話をしてくださった方々は高齢を押して昨日の事のように詳しく、涙をためてお話ししてくれました。
道を案内してくれと車までついて行ったところで拉致されそれから二十三年間うちに帰れなかった方、爆撃犯人と疑われ、マレーシアから留学していたのにそのまま拉致され、拷問され、結局解放された後も国に帰ることが許されなかった方、高校生だったのに、疑われ家で逮捕され、そのまま投獄されてしまった方。その監獄での劣悪な拘置状況や、いつ処刑されるかわからないという恐怖の中で暮らされていたお話は聞きしに勝るものでした。私も台湾の戒厳令の時代は記憶にありましたが、詳しいことは知りませんでした。私の叔母は台湾の人と結婚していましたから、義理の叔父もいろいろ苦労したんだろうなあと思いました。お部屋に記録された処刑者のメモリアルの中に私の生まれた1956年7月24日に3人処刑された方の名前があったのはショックでした。
●那覇では四回目になりますが辺野古に行きました。
キャンプ・シュワブのゲートの前でテントを張って抗議している方々への応援と抗議行動参加のためです。一回目、やはりピースボートのツアーで行ったのでしたが、韓国の方たちと一緒でした。
当時は海岸べりのところで、テントを張っていて一番長老の金城さんという方が私たち日本人には目もくれず「あなたたちと沖縄人は同じ、自分の土地をよその国の基地にされて苦しめられている、私たちは思いが共有できるねえ」と韓国の人たちにおっしゃってるのを聞いて、悲しくて帰りのバスの中で大泣きしました。他人事のように、都合の良い時だけ沖縄で楽しんで、基地については知らん顔している、そんな風な人だと思われたくない!心から思いました。今、沖縄で基地があるから仕事が潤っているという人は5パーセントほどだと伺いました。基地を無くし、観光施設の充実を図った方がよっぽど島は潤うと、辺野古のある大浦湾を世界遺産にとがんばっている東恩納さんは言っていました。
本当に美しい海です。
普天間の人たちは基地を移設してほしいんじゃありません、無くしてほしいんです。
聞けば、もともとの計画として初めに辺野古の海上基地計画があり、それが出来れば普天間がいらなくなるということだったのだそうです。日本と米軍とのやり取りの資料を取り寄せ解読し事実に迫って戦っている真喜志さんは「沖縄の方言で嘘のことをユクシーというんだよ、だから安倍さんたちが使ってる『抑止力』という言葉は『ヨクシ』ではなく『ユクシー』力だね」とおっしゃっていました。
あえてこの菊千代ごよみで書かせていただくのは沖縄の人たちだけの問題ではない、政治の話ではない、生活の問題、自然破壊の問題だからです。みんなでできる限りの声を上げるべきだと思います。沖縄の人たちは近くに原発が無くても、基地問題と同じだねと反対の声を上げてくれるのに、内地の人間は冷たいです。