あれよ、あれよという間に
2020年が明けて、元旦、今年の抱負は?なんて考えているときに、まさか、こんなことが起きるなんて、こんな時代が来るなんてと思っていた人はいたのでしょうか。
今年は災害と、ウイルスが問題になるって聞いていたから、食料とか備蓄してたよという友人が一人いますが、私はそんなこと、思いもしませんでした。1月下旬から話題になっていたダイヤモンドプリンセスのニュースも、他人事のように受け止めていたし、コロナ流行に気をつけなきゃという風潮はありましたが、2月1日・2日と初めて参加した掛川花鳥園での鳥フェスには、マスク姿の人などほとんどいませんでした。
3日の湯島天神の豆まきは、やっぱり子供連れは少ないねえなんて言いながらも、いつも通り盛り上がっていました。
2月9日の千歳烏山でのご近所落語会も盛況に終わり、11日に四谷のココナッツというお店で行われた常連のお客様の特別なお祝い会で落語をやらせていただき、その時にいらした方が「友達がダイヤモンドに乗っててさあ、降りられないんだよ」なんて言うお話をなさっていました。
14日には旭川刑務所で訪問落語、夜は増毛というところの焼肉屋さんで落語会「ちょっとお客さんが少ないよ、でも旭川はまだ影響ないからねえ」なんて話をしていました。
16日には6月乗船予定だったピースボートのために申請していたパスポートを受け取りに有楽町交通会館へ、道産子ショップではコロッケ食べる人が並んでいたし、マスク姿は少なかったような気がします。東京拘置所での話し方教室の授業も、新宿や千歳烏山での落語教室も行っているその頃、2月24日のお仕事が初めてキャンセルになりました。
年配の方々の集まりなので用心にという事でした。それからピースボート乗船も含めて、福井刑務所の訪問落語、3月3日の落語会、福島の原発集会、異業種交流会、九州のお寺、追分温泉、憲法集会、9条の会などもバタバタと中止になり、自主企画の池袋演芸場や日本橋亭の落語会も中止にせざるを得なくなりました。
情けないもので、噺家として収入が無くなるということは、古今亭菊千代としての価値が無いような気になりました。だから、今までのように嫌なこと駄目なことに対してものを言う勇気がなくなってしまいました。翼を折られた鳥なのかくちばしを折られた鳥なのか、とにかく、生活の窮地から脱するまではと、国会前でのアピールなどもスピーチ原稿のみで失礼しました。とっても情けない話です。文字通り、落語なんて本当に人の心が平穏でなければ笑ってもらえないのだなあ、まして人が集まれないという、生のお客様の前で出来ないということが致命傷なのです。
落語協会からは持続化給付金の事や「アートにエールを」という東京都のアーティストに対する救済企画の情報が入り、何でもやってみるべきと挑戦する気になったのは4月の中旬からです。