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浅草・炭焼き料理の櫻田で、酔鼓連アンテナショップ開催

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3月19日土曜日、浅草田原町にある素敵な炉端焼きのお店で、酔鼓連の女性メンバーが和風小物や手作り作品を展示販売することになりました。太鼓演奏もあります。

銀座・都営浅草線浅草駅より徒歩4分。田原駅より徒歩3分。
東京都台東区雷門1-15-12永谷マンション1F

メンバーは手品の花島皆子(手作りのお味噌や噺家の手拭いで作ったのれん作ったのれん)・笛担当の遠藤さん(和風アクセサリー)噺家 三遊亭歌る多(手作り袋物)・私は羊毛フェルト作品や1000円で買える着物や帯を販売します。美味しい御茶やお菓子のサービスも。是非遊びにいらしてください!
1度お食事も!櫻田の炭焼き料理も最高です。鶏、海老、さざえ等の魚介類、椎茸旬の野菜を篭から選んで、ご自身で囲炉裏で焼いて楽しく食べます。コース2000円から。

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映画「憲法の未来 私たちが決める」

この国はいったいどこに向かってしまうのか。私は心配でなりません、沖縄、原発、そして憲法問題と私の思いとは逆へ逆へと安倍政権は進んでいき、そしてそれを支持する人たちが大勢いることにいらだちと悲しみを覚えます。先日、あるお仕事でご一緒した女性のお客さまが「安倍さんってかっこいいですよね、剛腕って感じで、あたし好きなんです」と言っていました。その人にとっては辺野古の人たちの苦しみや、自衛隊員の将来や、血税を好きにされていることや、原発のおかげで苦しんでいる人や、子供たちの未来もどうでもいいのでしょうか。そうじゃなくてそんなことも感じないように思考操作、洗脳されてしまっているのでしょうか?私たちの生きる権利を自分たちで見直す、自分たちで考える。今年もめげずに努力します。
映画「憲法の未来 私たちが決める」

<ご支援のお礼とお願い>

おかげさまで1月末の段階で、440名840万円のカンパが集まっています。松井監督も張り切っております。どうぞ引き続きのご協力お願いいたします。
「私たちの主権委員会」代表 古今亭菊千代

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◆◆◆松井監督より◆◆◆

寒中お見舞い申し上げます。「私にできることから」の思いで始まった憲法を題材にしての映画作り。皆様のご支援のおかげで、全国北から南と取材に歩くうち気がつけば新年が明け大寒を過ぎてしまいました。取材は2月半ばで終わり一段落して、いよいよ編集作業に入ります。おれがおそくなりましてお詫び申し上げます。ご支援に心よりありがとうございます!
全国の「私にでき事から」行動している方々に背中を押されながら「憲法の未来  私たちが決める」は春の完成を目指しています。4月末には映画と共にお会いできることでしょう。その日を楽しみに日々試行錯誤を繰り返しながら、作品の完成まで頑張りたいと思います。
引き続き応援いただきますようよろしくお願い申し上げます。

菊千代、ついに7月に60歳!(2016年/年間計画)

△菊千代は還暦です▽

還暦って男性には厄年でもあるので色々気をつけなくてはいけない年でもあるのですが、なんたって丙の申年で還暦なんて、喜ぶしかないって感じ。年明けから良いことずくめで怖いくらいの菊千代です。あまりに当たり年なので、上から物が落ちたり、車が飛んできたり、バナナの皮を踏んだりしないかと気を付けながら歩いている今日この頃です。

✿2016年 年間計画✿ 

毎年恒例年間計画です。是非予定表にお書き込みを!
★2月8日★ すみれ・菊千代二人会
第七回目、毎年、日本橋亭で開催、すみれ先生のお弟子さんや二ツ目落語家に助けてもらっています。

★2月21日・日★ ご近所落語会
今年は第10回目記念の会になりました。千歳烏山「らくだ&TUBO」に、念願のおしどりマコ・ケンさんを迎えます。原発についての色々な疑問にも答えてもらいみんなで考えましょう。詳細は一頁をご覧ください.

★3月16日・水★ 福成寺落語会
橘家蔵之助師匠をお迎えしての「福成寺落語会」です。25年前、この福成寺で落語会を始めた時はこの蔵之助師匠と二人会でした。

★3月18日・金★ 東京落語会
女子の噺家では珍しく出していただいております。トリは柳家権太楼師匠、仲入り後に入れていただきました。チケットご入用の方はご連絡ください。

★3月20日・日★ 善定寺落語会
北九州黒崎の浄土真宗のお寺善定寺さんの春季彼岸法要の一環として独演会をさせていただいています。17回目になります。

★3月31日・木★ 手話と一緒に楽しむ落語の会
池袋演芸場で毎年この日に開催しています。コミックマイムのばかぼんさん、手品の松旭斎美登さんと試行錯誤でやっています。手話に興味のある方もない方もみーんなで楽しむ会です。

★4月3日・日★ 芸人9条の会
待ちに待った第二回目です。メンバーもより豪華になって、パワーアップ!早めのご予約を!文京シビックホール、夜七時開演、菊千代までご連絡下さい。

★4月17日・日★ 風街ろまん銀座ライブ
一度は見ていただきたい私のドラマー姿を!歌も歌います。自称プロ根性の仲間総出演、飲み放題、食事付き5000円の一日ライブです。場所は銀座パセラリゾーツ、お問合せは菊千代まで。

★4月24日・日★ 北とぴあ
芸術協会さんからお仕事いただいてます。

★4月27日・水★ 門天百夜噺の会・十三夜
ゲストはマジック界の重鎮、ナポレオンズのバルト小石さんです。今年も頑張りますよ百夜目指して。

★5月3日・火★ 憲法集会
午前10時からは上野公園口駅前でちょっと叫んでます。
午後からは憲法集会に参加です。今年は有明防災公園です。
憲法9条絶対守りましょう。

★5月 日程未定★ 伊東会
伊東での菊千代応援団が集まって落語を楽しんでくださる会です。
★5月10日・火★ 小菊千代の会
第5回目になりました、粋曲・柳家小菊師匠との二人会です。渋谷東急本店の前にある川中美幸さんのお店でお好みディナー笑(ショー)です。

★5月14日・土★ 八王子・美酒の会
美味しいお酒とおそば料理、そして落語の会です。早いもので12回目になります。

★5月15日・日★ 三社祭
西浅草三丁目で11時頃から町会神輿の太鼓を叩いております。必見です。

★5月23日・水★ 菊千代・歌助二人会
第6回目です。ゲストに動物ものまねの江戸家小猫さんをお願いしました。
菊千代は子別れ、歌助さんは茶の湯です。池袋演芸場6時半開演です。

★5月日程未定★ 東拘寄席
東京拘置所で行っている年1回の慰問演芸会です。

★5月28・29日 土・日★ 湯島天神大祭
今年は大祭、天神様の本社神輿の先導で太鼓を叩いております。28日は落語教室の福々亭の発表会も有ります!

★5月日程未定★ 松江刑務所訪問演芸

★6月3日~5日・金~日★ 岐阜・恵那、愛知・足助ツアー 
恵那で落語会、そして足助に行ってたんころりん街角ライブに参加します。

★6月11日★ 立教大学
ジェンダーフォーラム講演会

★6月12日・日★ モンキーズ一九五六還暦大猿会
全国の1956生まれのお猿さん達、市谷アルカディアに正午集合です!

★6月14日・~20日★ 読売旅行チャータークルーズ
初夏の利尻(礼文)・奥尻 北海道の島めぐりのツアーに乗船します。

★6月22日・水★ 鈴本バラエティ笑 
年に一度の大独演会。鈴本演芸場夜の部。是非是非ご予定にお入れ下さい!

★6月25日・土★ 竹の子寄席
第50回記念の会がいよいよです。皆さん一緒に行きませんか?福岡県遠賀郡水巻の竹の子!大きなホールでゲストも豪華に企画中。九州方面の皆様、よろしくお願い致します。

★7月2日・土★ 松山・七夕寄席
第16回目、松山の三津にある浄土真宗のお寺福円寺での落語会です。

★7月3日・日★ 追分温泉
松山から帰って石巻へ走ります。第14回追分温泉寄席、落語教室のぼちぼち亭のメンバーも一緒です。

★7月4日・月★ よってがいん 
石巻の北上から渡波への移動は4回目、仮設住宅で暮らしの方々に楽しんで頂きます。

★7月20日・水★ 門天百夜噺の会・十四夜
ゲストは交渉中です。

★8月11日~20日★ 住吉踊り
浅草演芸ホール恒例のイベント。かっぽれ、深川、やっこさん!踊り・高座に参加します。

★9月4日・日★ 謝楽祭
湯島天神で昨年より始まりました落語協会のお客様感謝祭です。菊千代は酔鼓連として太鼓演奏と和の小物や羊毛フェルト、着物千円市などをさせていただきます。お楽しみに。

★9月29日・日★ 常照寺落語会
愛知県西尾市の浄土真宗のお寺。第17回目になります。

★10月未定・日★ 風街ろまんオータムライブ

★10月未定・★ 第六回・小菊千代の会

★10月27日・木★ 門天百夜噺の会・十五夜

★11月半ば頃★ 大阪繁盛亭定席出演と東西女流競演落語会
露の都・三遊亭歌る多・桂あやめ・菊千代の東西女流の草分けが競い合う会です。

★12月23日・金★ 鈴本演芸場 東西女流華の競艶会
江戸方での競演会です。今年は私が主任の番です。

★12月29日・木★ 浅草演芸ホール 恒例・円菊一門会

2015年~2016年へ 見る申・聴く申・言う申・歌留多

伊方原発再稼働に知事がGOサイン、地震、豪雨…災害続出のこの日本で?title
ロシアが核弾頭搭載の長距離魚雷を開発していることが明らかに。
ハロウィンのお祭り騒ぎは良いけれど、渋谷の街は大混乱、一夜明けてごみの山。
「日本会議」と呼ばれる、目立たないが影響力のあるという歴史修正主義で権威主義の極右団体に閣僚の3/4が属していると外国メディアは報じています。
放送大学が試験問題から安倍政権を批判した記述を削除。おかしい!
「平和」という言葉がプリントされたバックを年配の方が持っていたら、国会前で警察官に職務質問されたそうな。
東京オリンピック、私は相変わらず反対❢
千歳烏山らくつぼ「ご近所落語会」2月21日、日曜日2時から。
リニアモーターカーには原発3~5基分の電力が必要、自然破壊までして、なぜ必要ですか?
「ぬちがふぅ(命果報)-玉砕場からの証言-」監督 朴壽南ルーズベルトとアベノミクス?
「私たちの主権」委員会制作ドキュメント映画「憲法の未来」
川中美幸さんのお店での『小菊千代の会』。よ抑止力は戦争好きな人たちの詭弁。
「竹の子寄席」福岡、2016年で50回を迎えます❢
レベッカの「フレンズ」と渡辺真知子の「迷い道」四谷風街ろまん銀座ライブでドラムを叩き唄いしました。春ライブは4月17日。
ソマリアからとうとう国境なき医師団が撤退、そんな危険地域にも子供たちはいるのです。
築地移転は平成28年11月予定、場外は「千客万来市場」として残るそう。
年金の不正受給が相次いで判明し、国による返還請求が急増しているが、多くは時効によって返還請求もできなくなっている。私もちゃんと貰えるのか心配。
「ナマケモノ倶楽部」はできるだけ電気やガスなどのエネルギーを使わずに、地球にやさしい生き方を実践しようと考え努力する市民団体、私も会員です。
落語は平和でなくては笑ってもらえません。
「村山談話を継承し発展させる会」共同代表です。
ウロコインコを飼っています。空太とぴーたんです。
野原千代さんの訃報。琉球大学大瀧研究室の一員として、ヤマトシジミなどチョウの被曝影響を福島などの現地調査もして報告、講演者でも知られた方、ご冥福をお祈りいたします。
沖縄の方たちは最高の人権侵害を受けています。早く基地から日本政府の暴挙から解放すべき!グリーンピースジャパンが辺野古大浦湾に寄港申請をし、却下されました。どうして?
ヤマノ楽器ドラム教室小川先生お世話になってます。ま松元ヒロさんのライブ一度は見て下さい❢「芸人9条の会」9月5日無事立ち上げ。ヒロサンもメンバーです。
福島はちっとも終わっていません、汚染は広がり、除染した廃棄物の入った黒いビニール袋はたまるばかり、汚染木材を加工する企画も立てられていますが杉に関しては原発事故3年半後にして、心材の中心部分の放射能数値が高くなってきているという指摘もあるそうです。
古今亭円菊一門会、弟弟子駿菊が落語協会を脱会、寄席での一門勢揃いは今年最後になります。恵那・瑞浪での落語会も定着。2016年も「きじや」さんや図書館でお会いしましょう。
テロにも戦争にも反対するホワイトキャンペーン❣
アベ政治を許しません❢ささようなら原発1000万人アクション。頑張りましょう。
9の紋付きの着物や羽織を着るようになって十年経ちましたが、今回の鈴本『東西女流華の競艶会』で先輩から着ないでほしいと言われました。上下関係の世界ですから従います、が!逆に力が湧いてきました。
湯島天神豆まき、2月3日、今年は年女なのでいつもより張り切ってまくぞ!
目出度い還暦パーティ大々的にモンキーズでやります。
「民主主義ってなんだ!」シールズと一緒に国会前で叫びました。
「手話と一緒に楽しむ落語会」は3月31日池袋演芸場です。
エノケン (榎本健一)の「これが自由というものか」1954年にできた唄です。聴いて下さい!
菱山南帆子さんは中学一年の時からイラク戦争反対と国会前で訴えた人、素晴らしい平和運動家、戦争法案も断じて許しません。
餅を食べたら忘れるなんぞと言われてますよ。馬鹿にするな!
青年会議所が憲法改正の出前講座を中学校などで行っています。おかしいでしょ?
鈴本演芸場『菊千代バラエティ笑』は6月22日(水曜日)に決定しました。よろしくお願いいたします。
以上、菊千代風いろはがるたでした。

映画「憲法の未来 私たちが決める」

世界的彫刻家イサム・ノグチの母親を描いた日米合作映画「レオニー」や、認知症の老人の介護を軸に、その家族の再生の日々を描いた「折り梅」で知られる松井久子監督が現在取り組んでいる作品が、ドキュメンタリー映画「憲法の未来 私たちが決める」です。
この映画を作るにあたり制作委員会を結成いたしました。「私たちの主権委員会」と言います。菊千代は代表という大役をおおせつかりました。皆さん応援よろしくお願いいたします。「憲法」は国民みんなのものです。自分たちを片寄った政治から守る大事な宝物です。右も左も無関心な人も関係ありません。今こそみんなで大事に考えましょう。

◆松井久子監督メッセージ
2015年9月19日は、私たちの国の未来が民意を置き去りにして決められていく様を、呆然と眺めさせられた日として、忘れられない、忘れてはならない日となりました。が、このような政治の暴挙を許したのも元はと言えば私たちなのです。いい加減に「忘れやすい日本人」も、「政治への無関心」も返上しなくてはなりません。もはや私たちが手にしているものが「憲法」と「選挙」だけならば、今こそそれを、自分の日常の延長線上の問題として考えるときが来ています。さあ、議論と行動を始めましょう。自分たちにできることから。     監督 松井久子

★映画製作へのカンパ・お問合せは菊千代まで。

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平和でなくては、落語は笑ってもらえません!

★菊千代はまた、政治のことを…とか、落語家なんだからそういうことはあまり言わない方がとか、そんなことしないで落語ちゃんとやれとか…
あ、それはごもっともですが。私の身を案じておっしゃって下さる方々がいます。また、そこは考え方の違いだから仕方ないよという方も。それを踏まえたうえで、今回は書かせていただきます。私は10年前から9の紋のついた羽織や着物を着るようになりました。第一次安倍政権の時、9条のありがたさを知りそして、大事に思っていない人の多いことに危惧したからです。ですがその頃私は、まだ空気のありがたさはよくわかっていませんでした。普通に吸うことが当たり前だと思っていました。それが、あの福島の原発事故があり恥ずかしながら初めて、きれいな空気というものは自分たちで守っていかなくてはいけないのだということを知りました。そして平和というものも自分たちで守っていかなくてはならないのだということ、その平和を守ってきたものが9条なのだと改めて確認しました。
9条だけでなく、私たちが生きていくうえでの権利がさまざまな条文によって守られているから、たとえどんな政治家が解釈でごまかそうとしても、必ず正すことが出来るのだと信じていました。ただ実際には、その当然の権利を無視されたまま置き去りにされている方々がたくさんいるということも感じています。
そんな時、経済効果と言いながら、嘘をついてまでオリンピックを招致し、原発を推進し、他国にまで売るという与党政権には腹を立てています。そんな気持ちを9の紋付を着ることでしか表現できない自分にも不甲斐ない思いです。

★今、毎日のように国会議事堂前で、日比谷野外音楽堂で、それぞれの町の駅頭広場や大通りで、合わせれば何万人、何十万人の人々が『9条こわすな』と叫んでいます。
「9条変えるな」ではなく「こわすな」です。なぜなら、安倍さんは変えるとは言っていないから、彼らの魂胆は変えないで戦争ができるようにしておいて、後になって、現実とはかけ離れているから憲法を変えましょうとするつもりだから。

★若者たちが動きました、高校生までです。
若者たちの、あっという間の結束力、行動力、そして表現力は素晴らしいです。子供たちもお父さんやお母さんとデモに参加しています。ネットでは、そんな若者たちに対して「デモに参加すると就職に差し支える」と脅す連中も出てきていますが論外です。日本の国の一番のルールである憲法を「守ろう、壊すな!」と言って就職ができない?、「壊そう」の方がよっぽど危険、本当におかしな話です。

★大阪の梅田の駅前での女子学生SEALDS関西の寺田ともかさんのスピーチです、是非!読んでください。
「こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。 国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。
先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。
この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。「なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること」。これが国の果たすべき役割です。この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。 わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。

日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。
だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。
安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。
国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後七一年目を無事に迎えることになるでしょう。安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。
そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。
ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。」

★このスピーチをユーチューブで聞いたとき涙が出ました。
ちなみに、私から…
①安倍さんの言う中国の脅威はあれだけあからさまに国会で挑発のような発言をして、もし本当にそういうことになったら、日本各地での観光地や商店で爆買いしている中国人がいなくなってしまうことに?お店で働いている人たちは?国際結婚している人は?中国に日本企業の工場もたくさんありますよね。それでも脅威って言い張って、関係が悪くなった時の経済の穴埋めは武器と原発の輸出ですか?
②自分の国が万が一危なくなってその時身を守るのは個別的自衛権というのですよね。
③戦争では基地や武器のある所が一番狙われると聞きました、危ないアメリカの軍艦で日本人を救出してそれを日本の自衛隊が守るという理屈も変、食料や水の保管所も狙われるんだそうです、つまり後方支援のところ?
④どれだけたくさんのNGO団体が危険地域でボランティア活動を行っていることか、それを守りに武装した人たちが来ればそれが標的に、つまり余計危険になるのでは?⑤最後に、ドイツのヒットラーの右腕だった高官の裁判での証言を。

★「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を、愛国心が無いと批判すればいい」。
国にとって一番の脅威は安倍政権です。

我が家のお姫様

オカメインコのぽん太 大往生

17年間、私にやさしいオーラを与えてくれ、癒してくれたぽん太が逝きました。18年前初めて飼ってみたオカメインコを私の不勉強で死なせてしまい、その償いにと2羽の雛を買ってきたのがぽん太とごん太、2羽ともとてもなついてくれました。どちらかというと神経質で臆病なのがぽん太だったので、3年前にごん太が亡くなった時にはどうなることかと心配したのですが、逆に一人天下のお姫様状態で、放鳥時にはいつも私の肩にいて顔の産毛やうなじの毛を抜いたりして遊んでいました。

去年体調を崩し、悩んだ結果手術の道を選び無事成功、このこよみでも報告させていただきましたが、あんな小さな身体を手術した先生もすごいけど、ちゃんと元気になったぽん太はもっとすごかった!その後、色々あり2回入院しそのつど回復して戻ってきてくれました。けれども、朝、今までよりもずうっと具合が悪そうであわてて病院に連れて行き四度目の入院となりました。インコは飼い主の期待に添えようとして元気にご飯を食べるふりをしたりするので、ぽん太もギリギリまで無理していたのかもしれません。お医者さんに連れて行った時の様子を見ても、もう駄目かなと思いましたが、いや、ぽん太なら持ち直してくれるかもという期待もありました。

けれどもそれから3日目の朝、看護師さんから電話がありました。朝の7時頃診に行ったら息を引き取っていたそうです、先生が「ぽん太ちゃん、朝4時頃診まわった時にはじっとしていたし、このところ少し自力でご飯も食べていたので持ち直してくれるかと思ったんですけどね。お力になれなくて申し訳ありませんでした」、綺麗な箱にちゃんと寝かしてくれた姿を前に看護師さんと深々と頭を下げて下さり、やっぱり、病院で最後まで診ていただいて、大事にしてもらえて良かったと思いました。
今まで、何羽か私の配慮の足りなさで死なせてしまった鳥たちの分も、この子にはしっかり供養してやりたいと思い、ネットでペットの埋葬を調べてみました。なんと移動火葬車でお骨にして返してくれる業者さんが有るということを発見し、急ぎ足でしたがその夜、無事に火葬してお骨にしてもらい、玄関先でしたが、鳥さんの一番固いくちばしの部分をしっかり見せて下さり、大事に可愛い骨壺に入れて袋に入れて渡してくれました。飼い主にとっては大事な存在でも嫌いな人からすればたかがペットかもしれません。でも鳥の病院の先生や看護師さんの対応、例えば様子を聞く電話一本にしても「ぽん太ちゃんですねえ、今日はちょっと顔色が良くなってご飯も食べてくれてますよ~」と言われてほっとし、大事に扱っていただいていることを実感しました。喪服で引き取りにみえた葬儀屋さんの態度も、生前の様子を聞いてくれたり、ペットを愛する飼い主への思いやりがあふれていました。
一七年間ずっと一緒にいてくれたぽん太に感謝です。

ポンタ
手前はごん太、今天国で一緒!

子供力はすごい!

今回船にはたくさん子供たちが乗っていたので何かやってもらいたいと思い、三時間の授業でしたが小学生高学年の五人の女の子たちに南京玉すだれを教えました。
釣竿・橋・鯛の三つの形だけにはしたもののかなり難しいので心配しました。ところが、いやいや子供はすごいですね。しかもやはり女の子はしっかり者です、船で知り合ったばかりのお友達なのに、それぞれを思いやり、私の言ったことはすぐ理解してくれるし、忘れないし。集中力あるし。度胸もあるし。本番で一人もモジモジせず、立ち位置も言った通りしっかり並ぶし、本当に感心しました。これからも子供たちにどんどん、落語や演芸に触れて貰うよう努力します。

菊千代 旅日記

3月23~29日

●ピースボートショートクルーズに参加し石垣島から乗り台湾、那覇と寄港し博多で降りました。
今回はスタッフ大喜利と、子供たちに何か教えるというお仕事が課せられていましたが、寄港地中は自由なので私もツアーを選び参加してきました。
台湾では台北の郊外にある景美国家人権博物館[白色テロ時代の監獄跡]を実際に投獄されていた方々の案内で見学し、その当時の経緯や体験談を伺いました。白色テロとは、為政者や権力者、反革命側(君主国家の為政者あるいは保守派)によって政治的敵対勢力に対して行われる暴力的な直接行動のことだそうで、私は初めて知った言葉でしたが、日本も戦前、戦中そんなことがされていた時代があったわけだし、これからこのまま安倍さんの暴走が許されるようなことがあったら決して他人ごとではない話だと思いました。
ウィキペディアで「白色テロ」を調べたら「国家組織及び権力を是認して行われる不当逮捕や言論統制などがある」とありましたから今の日本でも実際あり得る話です。日本が敗戦後の1945年8月、連合国による委託管理として台湾駐留を任された蒋介石の軍隊が入って来て、台湾の人たちが「日本が戦敗して、祖国の軍隊が戻って来た。これからは自分達も、もう植民地の人間ではなくて、一国の国民になるのだ」と喜んで歓迎したのに、逆に中国大陸の軍隊は台湾人に対して大量殺戮や非人道的な鎮圧をしたそうです。そして台湾のリーダー級の人物を抹殺するため「台湾に潜入している共産党員を撲滅する」と言う名目で無差別な拉致、監禁、拷問、銃殺等をしたのです。お話をしてくださった方々は高齢を押して昨日の事のように詳しく、涙をためてお話ししてくれました。
道を案内してくれと車までついて行ったところで拉致されそれから二十三年間うちに帰れなかった方、爆撃犯人と疑われ、マレーシアから留学していたのにそのまま拉致され、拷問され、結局解放された後も国に帰ることが許されなかった方、高校生だったのに、疑われ家で逮捕され、そのまま投獄されてしまった方。その監獄での劣悪な拘置状況や、いつ処刑されるかわからないという恐怖の中で暮らされていたお話は聞きしに勝るものでした。私も台湾の戒厳令の時代は記憶にありましたが、詳しいことは知りませんでした。私の叔母は台湾の人と結婚していましたから、義理の叔父もいろいろ苦労したんだろうなあと思いました。お部屋に記録された処刑者のメモリアルの中に私の生まれた1956年7月24日に3人処刑された方の名前があったのはショックでした。

●那覇では四回目になりますが辺野古に行きました。
キャンプ・シュワブのゲートの前でテントを張って抗議している方々への応援と抗議行動参加のためです。一回目、やはりピースボートのツアーで行ったのでしたが、韓国の方たちと一緒でした。
当時は海岸べりのところで、テントを張っていて一番長老の金城さんという方が私たち日本人には目もくれず「あなたたちと沖縄人は同じ、自分の土地をよその国の基地にされて苦しめられている、私たちは思いが共有できるねえ」と韓国の人たちにおっしゃってるのを聞いて、悲しくて帰りのバスの中で大泣きしました。他人事のように、都合の良い時だけ沖縄で楽しんで、基地については知らん顔している、そんな風な人だと思われたくない!心から思いました。今、沖縄で基地があるから仕事が潤っているという人は5パーセントほどだと伺いました。基地を無くし、観光施設の充実を図った方がよっぽど島は潤うと、辺野古のある大浦湾を世界遺産にとがんばっている東恩納さんは言っていました。

本当に美しい海です。
普天間の人たちは基地を移設してほしいんじゃありません、無くしてほしいんです。

聞けば、もともとの計画として初めに辺野古の海上基地計画があり、それが出来れば普天間がいらなくなるということだったのだそうです。日本と米軍とのやり取りの資料を取り寄せ解読し事実に迫って戦っている真喜志さんは「沖縄の方言で嘘のことをユクシーというんだよ、だから安倍さんたちが使ってる『抑止力』という言葉は『ヨクシ』ではなく『ユクシー』力だね」とおっしゃっていました。
あえてこの菊千代ごよみで書かせていただくのは沖縄の人たちだけの問題ではない、政治の話ではない、生活の問題、自然破壊の問題だからです。みんなでできる限りの声を上げるべきだと思います。沖縄の人たちは近くに原発が無くても、基地問題と同じだねと反対の声を上げてくれるのに、内地の人間は冷たいです。

普天間

菊千代の思い語り 昭和三年生まれの大事な人たち

四人の恩人の大きな力

私が古今亭菊千代という噺家として、大好きなことを仕事としてご飯を食べていけている(かろうじてですが…)のは4人の人の大きな力があったおかげだと思っています。
両親のおかげ二人は両親です。私を生み、育て、そして見守り、応援してくれたこと。世間の親子関係、色々な事件などを見ると決して親なら当たり前とは言えない昨今、本当に私は幸せ者だなあと思います。
母は平成2年に62歳で他界しましたが、父に「娘にお父さんの物、洗濯させないで!自分のことは自分でするように」ときつく言って入院生活に入り、いわばそれが遺言になってしましました。その言葉をしっかり守って何でも自分でする父は、我が家から20分ほどのところに住み、そこで現役のソフトカイロプラクティック治療師をとして治療院を続けています。また最近は手話を習い始めたり、私が旅のときのインコたちの世話をしに自転車で駆け付けたりと大変元気です。

その父が先日、なんと単身アメリカに行って帰ってきました。若いころ米軍のお仕事をしていたころ仲良しだった方がアメリカに帰られてから、何度か行ったり来たりしていましたが、三十年近くは手紙のみのお付き合いでした。ところがいつの間にか父はフェイスブックで彼の娘婿さんと近況のやりとりをし、お父さんの九十歳のお祝いに来てくれないかと誘われたらしいのです。

シカゴ経由でミシガン州のフリント空港まで、14時間の時差、待ち時間含めて20時間近い旅を往復こなして帰ってきました。いくら英語ができるとはいえ、30年近くネイティブな会話はしていないのですから、緊張はしていたようですが、あちらのお孫さんたちにはおじいちゃんおばあちゃんと同じだからと、大事にされ、大学で健康についての講義までさせてもらったり、色々楽しく有意義に過ごせたようで、本当に行ってよかった!と意気揚々と帰ってきました。私も父を送る時には、今まで散々ピースボートのスタッフにしてもらってきたことが身になっていて、父の手続きを手伝うことができ、嬉しい思いをしました。

86歳で、アメリカまで行けるということは私もまだあと30年ぐらいは大丈夫なんだなあ、と勇気をもらいました。

 

師匠円菊の三回忌を迎えました。

三人目は、二年前に他界した師匠、古今亭円菊です。噺家になれなかったら、弟子にしてもらえなかったら、死のうと本気で思っていた私を、自分のリスクも顧みず弟子にしてくれた命の恩人、何よりも円菊の弟子だったから今までやってこられたのです。一昨年亡くなって今年が三回忌、10月に法事を終えましたが、なんと師匠の命日10月13日は、師匠が熱心に信仰していた日蓮宗の宗祖、日蓮上人の命日と一緒だと知り驚きました。さすが師匠!という感じです。

engikuだいたいどこの一門も師匠が亡くなるとばらばらになってしまうところが多いのに、我が一門は不思議なくらいに更にまとまりました。これもひとえに師匠の厳しい教えのおかげです。
師匠が亡くなってから一門会が増えるなんて本当に素晴らしいことです。あとは、なるべく早く、息子である菊生が円菊の名前を襲名することを、私の一存ですが願っています。

 

9月20日私の大好きな、
尊敬する土井さんが亡くなられました。

そして四人目は第二の師匠として尊敬してやまない土井たか子さんです。そもそもは私が二ツ目になって、若手女流芸人の会「撫子倶楽部」という会を立ち上げた時にゲストとして応援にいらしていただいたのがご縁の始まりでした。

亡き母がファンで、土井さんを呼んだら!という一言がきっかけでした。もちろん、当時社会党の初の女性委員長として様々な問題と戦っていた雲の上の人が、芸人の会に来てくれるとは思えませんでした。けれども、ダメでもともととお手紙を書くと、秘書の五島さんがしっかり受け止めてくださり、土井さんに「行ってあげて」と進めてくださったのです。

母が亡くなった時には心温まる長い弔電とお花をいただき、それから私の真打が決まり、東海道五十三次でのつらい修行の旅の折には、京都の三条大橋で花束を持って迎えてくださり、真打披露パーティには先代の柳家小さん師匠の隣の席で笑顔を振りまいてくださいました。

私にできることはあまり有りませんでしたが、土井さんの選挙には何回か応援に行かせていただきました。その頃の私は今のように、平和のありがたさなどあまり考えていなかったので、政治のこともよくわからず、ただただ土井さん大好きですというばかりの応援でしたが、震災後の神戸の仮設住宅や、地元の講演会で土井さんが見えるまでのつなぎをさせていただいたり、名誉なことこの上ないことをたくさんさせていただきました。

土井さんが北海道の選挙の応援に行かれるのを手伝ってほしいと言っていただき、一緒に党首コース・黒塗りの車での移動、空港待遇、そしてお土産売り場での土井さんのおちゃめなお買い物風景、東京に帰ってからご褒美にごちそうになった燕グリルのハンバーグ…。鈴本での暮れの東西女流の会にはたびたびお越しいただき、六月の菊千代バラエティ笑にはゲスト出演もしていただきました。好物のお大福を差しあげるととても嬉しそうに口の周りを白くして召し上がっていました。

私がピースボートと巡り合い、北朝鮮に行き、平和についていろいろ考えるようになって、土井さんに興奮して報告したりすると、「まあまあ、菊千代ちゃん落ち着いて…」と逆になだめられたこともありました。そもそも土井さんを支える会で知り合った方々が今も私の宝物、ご縁はすべて土井さんのおかげです。暮れには土井さんの大好きなカラオケもご一緒しました。またそのお席でも素敵な方々と知り合うことが出来大きな財産になっています。

doiお身体を壊され、地元にお帰りになってからは一度もお目にかかることができませんでしたが、うちの仏壇には若々しい土井さんと元気だった母のツーショットの写真が飾ってあります。この菊千代ごよみを発行している菊千代後援会、会長はいません。名誉会長土井たか子さんのみです。名誉会長なので天国で見守っていただければと思います。大好きな土井さん、いつまでも菊千代を応援して、見守っていて下さいませ。

 

足助のかじやさん広瀬さんとの突然のお別れ

前号でも報告いたしました、大好きな豊田市足助町、毎年参加しているたんころりん祭りでの路上ライブ、私の大事な年中行事の一つですが、その窓口になり、またご自身のライブハウス「足助のかじやさん」では落語会も主催してくださっていた広瀬さんが、8月29日急性白血病で亡くなられました。

今年1月には江東フォークフェスティバルに参加、各地でライブ活動を繰り広げ、9月13日はまた上京して大森でライブをする予定でした。7月に落語会をしていただいた時にはお元気で、そんなことになるなんて誰も思いませんでした。その後、病気を発症し、余命を告知された時も東京でのライブは絶対行く!とおっしゃっていたそうでしたが…。kajiyaあまりにも早い、急な、残酷なお別れになってしまいました。ご家族の寂しさを思うだけでも辛いばかりです。広瀬さんの優しい歌声、お茶目な笑顔忘れません。ご冥福をお祈りします。